さて、雫が主観たっぷりに選ぶゆかり曲ベスト50を決める前に、歌手としてのゆかりんの〝時代区分〟について考えてみたい。
一番はじめに思い浮かぶのは、ポリグラム/コナミ/キングレコード、という所属レコード会社による区分である。
これはある程度的を射ているが、古墳時代が段階的に変化していったように、それだけで割り切れるものでもない。
この記事では、もう少し細かく、また自分なりの基準を考えてみたい。
年が明けてから一度も更新しないまま、3月を迎えてしまいましたよ。
バナー変更とかはしてたんですけどね、どうも、記事を書く気は起こらずで。
一つ前の日記のタスクとか、このあいだの黒うさぎの公録のレポとか、書くことはいくらでもあるんですが、「日記」というものに対して身構えてしまい、結果として放棄してしまうということを繰り返してきた私にとっては、どうやらブログも上手く使えこなせそうにありません。
その代わり、という訳ではないですが、ツイッターではなんかいろいろつぶやいてます。文字数が定まっていて、かつ、肩肘張る必要のないあちらの方が、やはり私には向いているのかもしれません。
ツイログをやってると、ストックもできるし、6月からは、一年前の同日に遡ることで、「十年日記効果」が期待できるんじゃないかと期待しています。なんというか、ツイッターの方がいろんな機微を表現できる気がするんですよね。思わぬ結びつきから、きっかけをもらえるし、与えてるかもしれない。
とはいえ、ブログでがっつり書きたいな、と思うこともあるんですよ。そうか、携帯からブログ更新できるようにしとけば、もう少しハードルが下がるのかもね。ほら、私なんかの世代は、携帯に慣れてるものでね。携帯に慣れてることや早打ち出来ることが入試問題投稿事件の主因になったとは思えないけれど。
生存報告以外に意味のない更新ですいません。
4月になるまでに、もう一回くらいはこちらを更新したいなと言いつつ、今回はこの辺で。
先ほどのツイートから。
朝日新聞beの調査で、「漫画が子に悪影響を及ぼすと思う」が82%。しかし、「読ませたい漫画」の上位には手塚治虫の諸作品とある。数十年前、手塚治虫の諸作品はPTAなどから「破廉恥だ」として「悪書」とされていた。結局この国には「世間」と「(自己)経験知」しかないのか。
手塚マンガあの日あの時 第11回:ハレンチマンガ旋風の中で http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201007/column.html
木・金と朝日新聞本紙に載った“「性」と漫画”の阿世っぷりにも失望したけど、今回の結果にはそれ以上に憤りを覚えた。「規制第一」ではないことだけが救いだ。
論点や観点は種々あろうが、次の四点を指摘しておきたい。
・表現自由の規制は、なし崩し的に拡張されていく危険性を当然孕む
・二次元(仮想現実)が犯罪を抑止しているとは考えられないのか
・善悪の判断力を養うことが大事というが、それには善だけでなく悪も必要不可欠だ
・客観的な基準ではなく、恣意的な判断で規制されることはあってはならない
(同じ表現でも、手塚治虫や江戸川乱歩ならよくて、名もなきエロ漫画はダメというのは意味が解らない)
僕は「超実在青少年」として、これからも声を挙げ続ける。
タイムファミリーの感想は夜が明けてから!!
さて、今日は久し振りに時評など。